群馬県(桐生和紙)の歴史
和 暦 |
西 暦 |
記 録 |
文 書 ・ 出 典 |
神亀5年 | 728 | 【上野紙】の記録。*1 | 正倉院文書 |
宝亀5年 | 774 | 「紙三百一十張 筆一百管」の未進国に上野国の記録。 | 正倉院文書 |
延長5年 | 927 | 「中男作物。麻一百五斥。『細町』席。漆。紙。紅花。」紙の上納42国の1つとして上野国の記録。 | 延喜式 |
承応元年 | 1652 | 現在の桐生市菱町で紙漉の記録。 | |
寛文3年 | 1663 | 上菱村に「壱帖五拾枚厚紙詰」の割付の記録。*2 | |
享保9年 | 1724 | 「下仁田糊入和紙」「南牧小半紙」「本桐生厚紙」「飛古馬厚紙」の記録。 | 百工比照 *3 |
天明6年 | 1786 | 上州山田郡桐生領五拾四ヶ村【中略】農業不便利之場所故、百姓渡世難儀ニ付、往古より銘々農業之暇、蚕飼いたし、又は紙を漉き、絹を織り・・・ | 機株改所設置意見書 |
天明7年 | 1787 | 桐生の豪商「書上文左衛門」が江戸の榛原紙店へ桐生紙を送る。 | 諸国仕入物帳 *4 |
天保3年 | 1838 | 星野家に伝わる最古の文書 | |
明治8年頃 | 1875 | 二渡村で桐生紙2000帳、山地村で9900帳の生産記録。20余戸の農家が冬期の副業として桐生紙を30万枚漉いた。*5 | 山田郡誌(昭和14年)P835 |
大正15年頃 | 1926 | 星野家は屋号『紙屋』と知られ、その紙は品質がよく『寅印』と呼ばれた。 | 桐生史苑第6号P49 |
昭和49年 | 1974 | 桐生和紙生産は星野家のみになる。 | |
昭和51年 | 1976 | 桐生市指定重要無形文化財第3号となる。*6 |
*1 上野(コウズケ)は群馬県の古称。桐生紙と特定はできない。
*2 上菱(カンビシ)−現在の桐生市梅田町の東南の地域
*3 「百工比照」は加賀前田藩5代目藩主前田綱紀が収集した27国の紙のコレクション。正保2年(1645)〜享保9年(1724)
*4 享和元年(1801)まで記録が続く。
*5 二渡(フタワタリ)村−現在の梅田町の中ほどの地域、山地(ヤマチ)村−現在の梅田町の北寄りの地域
*6 現在は桐生市指定重要無形民俗文化財と呼称が変わっている。
桐生紙を使った文書 左から文政3年(1820) 天保14年(1843) 弘化3年(1846) 安政2年(1855)の年号がみえる。
美濃判2つ折り、ハシキラズ(紙のミミを裁ち落とさない)の特徴がみられる。
*これらの文書は桐生市立図書館の所蔵です。
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